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倉橋惣三の「家庭生活の教育性」理論―近代の教育認識を乗り越えて―山本敏
倉橋惣三の「家庭生活の教育性」理論 19 倉橋惣三の「家庭生活の教育性」理論 ―近代の教育認識を乗り越えて― 山 本 敏 子 はじめに―家庭教育論への批判 日本の幼児教育の父と呼ばれる倉橋惣三(1882-1955)は、1930 (昭和5) 年前後の時期に集中して家庭教育に関する論考を発表している。その中でも 特に重要なのは、「家庭と家庭教育」(1928)、「家庭教育総説」(1931)、「家庭 教育」 (1932)の三本である(1)。 本稿では、以上一連の論考に展開された倉橋独自の家庭教育についての見 解を総称して昭和初期家庭教育学説と呼び、その中核にある「家庭生活の教 育性」理論の形成過程を跡付けていきたいと思う。なぜならば、この時期の 倉橋による家庭教育関係の論考が、いわゆる家庭教育論とは明らかに異なっ て、日本近代教育学説史上、「家庭教育」なるもの(家庭教育言説一般に見ら れる通俗的な家庭教育についての認識)を批判的に対象化して考察した最初 の試みであり、しかも、そこから導き出された「家庭生活の教育性」理論と は、家庭教育の本質に迫った画期的な理論であるばかりでなく、近代の教育 認識を乗り越える先駆的な試みでもあったからである。 単なる家庭教育論ならば、この時期、かなりの蓄積がみられた。すでに明 らかにされているように、その歴史は新しく、明治初期に福沢諭吉や中村正 20 駒澤大学 教育学研究論集 第 28 号 2012 年 直、植木枝盛、巌本善治等によって様々に提唱され始めた家庭教育言説が、 ある種定型化した中身(「家庭教育」なるもの)をもつ家庭教育論という形で 言説の層を厚くしていくのは、漸く 1900 (明治33)年頃のことである(2)。し かし、それから程なく、倉橋が 1917 (大正6)年に東京女子高等師範学校教 授に就任し、以後、三期にわたり同校附属幼稚園主事として幼児教育の改革 (3) に取り組む大正・昭和初期の頃になると 、家庭教育書の刊行数や新聞・雑 誌に掲載される家庭教育関係記事数は飛躍的な増大をみせる。そして、それ らを媒体とする家庭教育論の流布によって、あるいはまた、小学校教師の努 力や高等女学校教育を通して、「家庭教育」なるものが日本国民の大多数の間 に浸透するまでになっていた。さらには、こうした家庭教育論の勧める「教 育的知識と教育的方法」(4) を実際に応用しようと努める新しい日本近代の家 族(日本型近代家族)が、広く都市中間層の間に成熟し始めていた。 ところが倉橋は、相当な進歩を遂げたかのように見える当時の家庭教育論 に対して疑問を投げかけ、「家庭教育の学術的組織的研究」が久しく「怠られ」、 (5) 「欠けている」と批判する。家庭問題の細別化、専門化に応じて、「家庭教 育熱心家」の尽力により、「こんなに家庭教育の問題が複雑になり、家庭教育 の方法が大に発達して行く」現状にあるけれども、「今日家庭教育家の研究の 傾向は、何を食はせ、何を着せ、如何に遊ばすべきかをのみ考へ論じて居る」 だけではないかというのである(6)。1910 年代半ばに着手された倉橋による家 庭教育論批判の論点は、次の二点に及ぶ。第一に、「親其物、子其物を切りは なしてそれぞれに研究し考へて居る」こと。従って第二に、「何を如何に与へ るべきかと云ふ事のみで、其完全を誇る」傾向にあること。要するに、学校 教育が前提としている教育の四要素―教育主体(「親」)・教育客体(「子」)・ 教育内容(「何を」)・教育方法(「如何に与へるべきか」)―を大前提に家庭教 育を考えていて、「家庭教育の本来の性質換言すれば其特別の意義任務を忘れ て、普通の学校教育に堕して行くものと云ふべきだ」と論断した(7)。 先の昭和初期家庭教育学説は、こうした往年の倉橋による家庭教育論への 批判意識が、長い歳月を経て「家庭教育の本質とは何か」の探究として昇華
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