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神と精神─デカルトの形而上学と世界観─
神と精神─デカルトの形而上学と世界観─ 山 田 弘 明 一 形而上学の出発点 二 形而上学の到達点 三 世界観の形成 四 世界観の展開 おわりに 神と精神という主題が、西洋1世紀の哲学の根本問題であったことは言うまでもない1。デカ ルトにおいても、神と精神は形而上学の出発点でありかつ到達点でもあった。そして、その形而 上学に基づいた世界観や道徳論の展開があったと思われる。ここで「世界観」とは、自己と世界 との関わりを問題にすることであり、道徳の問題にとどまらず広く世界の見方や人の生き方を指 すものと理解する。したがって、本稿ではデカルトが科学的な世界認識(機械論的自然学)を踏 まえてこの世界をどのようなものと理解し、人としてどう生きるべきと考えたかを問題とするこ とになる。明らかにしたいのは次の点である。 一 デカルトが1629年に形而上学を考えはじめるまでの時点で、神と精神の問題はどのよう に扱われ、いかにして重要問題になって行ったか。 二 そこからどのような思想が展開され、その到達点としてどのような形而上学が形成された か。 三 神と精神を問うた形而上学のアウト・プットとして、初期思想から『原理』までの時期に おいて、どのような世界観が形成されたか。 四 晩年の道徳書簡や『情念論』などにおいて、世界観は神と精神をめぐってどのように展開 されたか。 結論として、形而上学における心身二元論などの理論的諸問題がそのまま世界観において引き 継がれ、実践の場でも同じ問題状況を生んでいるが、デカルト自身はその解決の方向を示してい ることを指摘する。最後に、現代のわれわれは神と精神という1世紀の主題をどう受けとめる べきかを考えておきたい。 1 むろん1世紀の人たちが、みなその問題設定を肯定していたわけではない。ガッサンディやレギウスなど は、デカルト的な神の存在証明や心身の区別に関して、きわめて批判的であった。しかし、かれらの批判 は経験論や感覚主義の立場から神と精神を捉えるという試みであって、問題そのものの重要性を否定して いるわけではない。 () 名古屋大学文学部研究論集(哲学) 一 形而上学の出発点 20代の若いデカルトがスコラに代わる新たな哲学の建設を目指したとき、かれがその土台と したのは形而上学であり、「形而上学の基礎」に置いたものが、神と人間精神の問題であった (『序説』AT.VI,1)。では、その問題を哲学の出発点と見なしたとき、かれの胸のなかには何が2 去来していたのか。他の主題でなく、なぜとりわけ神と精神が重要なのであろうか。また、そも そも神と精神は、どういう問題意識に由来しているのであろうか。それは、ものごとの根源を究 めたい、ものごとがこのように存在している究極の理由を知りたい、という純粋な知的要求から 来るものなのか。実際、デカルトは「それがなぜ存在するかの原因をたずねることができないよ うなものは何もない」(「諸根拠」AT.VII,164)ということを公理の一つに数えている。それは、 ものごとの根拠への問いを重ねて行くと、最後には必然的に神と精神とに行きあたるということ なのか。のちにライプニッツはこうした知的探究の道をたどることになる。あるいはそれは、時 代の要請 に答えて、神と精神は「神学よりも哲学によって論証されるべき」主題である(『省察』 ソルボンヌ書簡AT.VII,1)とするところから来るものであろうか。つまり、万物の創造者たる 神の存在と、非物質的な精神の存在を、理性によって合理的に説明することが哲学者の使命だと デカルトは考えていたのだろうか。 4 若いデカルトが神と精神の問題を志向した経緯については、筆者は幾つかの論文 ですでに触 れたところであるが、いわばその発心については、なおはっきりしないところがある。ここで は、デカルト形而上学の出発点
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