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目次

1、美しい日本の私2、ショーペンハウアーの格言

3、檄三島由紀夫

1、『美しい日本の私』川端康成

講談社現代新書1969年第一刷

2002年第五十一刷

一休の道歌は24ページにある。

春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷(すず)しかりけり

道元禅師の「本来の面目」と題するこの歌と、

雲を出でて我にともなふ冬の月風や身にしむ雪や冷たき

明恵上人のこの歌とを、私は揮毫を求められた折りに書くことがあります。

明恵のこの歌には、歌物語と言えるほどの、長く詳しい詞書きがあって、歌の心を明らかにしています。

元仁元年(1224)12月12日の夜、天くもり月くらきに花宮殿に入りて座禅す。やうやく中夜にいたりて、出観の後、峰の房を出でて下房へ帰る時、月雲間より出でて、光り雪にかがやく。狼の谷に吼ゆるも、月を友として、いと恐ろしからず。下房に入りて後、また立ち出でたれば、月また曇りにけり。かくしつつ後夜の鐘の音聞こゆれば、また峰の房へのぼるに、月もまた雲より出でて道を送る。峰にいたりて禅堂に入らんとする時、月また雲を追ひ来て、向ふの峰にかくれなんとするよそほひ、人しれず月の我にともなふかと見ゆれば、

この歌。それにつづけて

山の端に傾ぶくを見おきて峰の禅堂にいたる時、

山の端にわれも入りなむ月も入れ夜な夜なごとにまた友とせむ

明恵は禅堂に夜通しこもっていたか、あるいは夜明け前にまた禅堂に入ったかして、

禅観のひまに眼を開けば、夜明けの月の光り、窓の前にさしたり。我身は暗きところにて見やりたれば、澄める心、月の光りに紛るる心地すれば、

隈もなく澄める心の輝けば我が光りとや月思ふらむ

西行を桜の詩人ということがあるのに対して、明恵を「月の歌人」と呼ぶ人もあるほどで、

あかあかやあかあかあかやあかあかやあかやあかあかあかあかや月

と、ただ感動の声をそのまま連ねた歌があったりしますが、夜半から暁までの「冬の月」の三首にしても、「歌を詠むとも実(げ)に歌とも思はず」(西行の言)の趣きで、素直、純真、月に話しかける言葉そのままの31文字で、いわゆる「月を友とする」よりも月に親しく、月を見る我が月になり、我に見られる月が我になり、自然に没入、自然と合一しています。暁前の暗い禅堂に坐って思索する僧の「澄める心」の光りを、有明の月は月自身の光りと思うだろうという風であります。

「我にともなふ冬の月」の歌も、長い詞書きに明らかのように、明恵が山の禅堂に入って、宗教、哲学の思索をする心と、月が微妙に相応じ相交わるのを歌っているのですが、私がこれを借りて揮毫しますのは、まことに心やさしい、思いやりの歌とも受け取れるからであります。雲に入ったり雲を出たりして、禅堂に行き帰りする我の足もとを明るくしてくれ、狼の吼え声もこわいと感じさせないでくれる「冬の月」よ、風が身にしみないか、雪が冷たくないか。私はこれを自然、そして人間にたいする、あたたかく、深い、こまやかな思いやりの歌として、しみじみとやさしい日本人の心の歌として、人に書いてあげています。

そのボッティチェリの研究が世界に知られ、古今東西の美術に博識の矢代幸雄博士も「日本美術の特質」の一つを「雪月花の時、最も友を思う。」という詩語に約(つづ)められるとしています。雪の美しいのを見るにつけ、月の美しいのを見るにつけ、つまり四季折り折りの美に、自分が触れ目覚める時、美にめぐりあう幸いを得た時には、親しい友が切に思われ、このよろこびを共にしたいと願う、つまり、美の感動が人なつかしい思いやりを強く誘い出すのです。この「友」は、広く「人間」ともとれましょう。また「雪、月、花」という四季の移りの折り折りの美を現わす言葉は、日本においては山川草木、森羅万象、自然のすべて、そして人間感情をも含めての、美を現わす言葉とするのが伝統なのであります。そして日本の茶道も、「雪月花の時、最も友を思う」のがその根本の心で、茶会はその「感会」、よい時によい友どちが集うよい会なのであります。―――ちなみに、私の小説「千羽鶴」は、日本の茶の心と形の美しさを書いたと読まれるのは誤りで、今の世間に俗悪となった茶、それに疑いと警めを向けた、むしろ否定の作品なのです。

春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷しかりけり

この道元の歌も四季の美の歌で、古来の日本人が春、夏、秋、冬に第一に愛でる自然の景物の代表をただ四つ無造作にならべただけの、月並み、常套、平凡、この上ないと思えば思え、歌になっていない歌と言えば言えます。しかし別の古人の似た歌の一つ、僧良寛の辞世

形見とて何か残さん春は花山ほととぎす秋はもみぢ葉

これも道元の歌と同じよう

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