知覚心理学と視覚芸術-psych.chs.nihon.docVIP

　　　　知覚心理学の視覚芸術への影響 　　　　　　　　　　　野口　薫 　 　本小論では、まずゲシュタルト知覚と美的経験との関係に関する知見を簡潔に述べ、次に具体的にゲシュタルト心理学が画家にどのような影響を与えたかを図解し、最後に抽象画の一種、オプ?アート（Op Art）が視覚のメカニズムをどのように利用したかについて述べる。 　 　古代ギリシャにおける知覚と視覚芸術 　視覚芸術と知覚の問題とのかかわりは古代ギリシャの時代にまで遡ることができる。よく知られた例として、アテネのパルティノン神殿東面の作り方があげられる。もし、当時の建築家が柱の高い部分を見上げることによって生じる錯覚に気がついていなかったら、今残っている柱と屋根は奇妙な姿になっていたであろう（図１参照）。しかし、建築家は東面が普通に見えるよう錯覚効果を補正する構造を導入していたのである(Coren Girgus, 1978)。 図1 これと同じように錯覚に気づいて、その効果を補正した例は絵画にも見られる。たとえば、十字架にはしごを立て掛けてキリストを降ろそうとしている、ルーベンスの「キリスト降架」を眺めると、画面右側のはしごの一部はキリストを見つめる男の陰になっているため、はしごの縦棒は上方と下方に分断されている。男性の身体の上方の縦棒を下方に延長していくと、下方の縦棒よりも右側にずれしまう。ルーベンスは下方の縦棒を実際よりも左側に描いて、真直ぐに見えるようにしたのである。（これがポッケンドルフ錯視によって生じることは、知覚研究の専門誌に解説されている{Topper, 1984}.　 　ゲシュタルト知覚と美的経験 　 　ゲシュタルト心理学に傾倒したArnheim(1966)がその著書「芸術と視知覚?創造的眼の心理学」で指摘したように、芸術と心に対する関心は、心理学的研究によって高められてきた。見ることは心理学者の領域であり、芸術を創造し経験する過程を論じるには心理学を無視することはできない。とくに、ゲシュタルト理論やその視知覚に関するデモンストレーションの数々は芸術と近縁関係にあるといえる。 　人間行動学者のEibl-Eibesfeldt(1988)は知覚的バイアスを探究することが美的経験の研究の目的であるが、知覚のバイアスだけを探究すべきではなく、芸術も考察すべきであると主張した。彼は、芸術は知覚的バイアスの基礎になって美的経験を誘発するメカニズムを操作する技能をもたらすからであると言う。一方、美的な対象を創るために、芸術家は知覚の特性に従わなくてはならない。この特性の基礎になっている原理は視覚の領域でもっともよく研究されてきた。とくに重要なのはゲシュタルト心理学の貢献である。いくつかの原理がくわしく吟味されたが、知覚は秩序、カテゴリー化、説明を求める能動的な過程であることが示された。 また、正方形や三角形や円などの幾何学的図形を瞬間的に見るとき、それらが不規則で、非対称であっても、「よいゲシュタルト」（すぐそれと分かる形）を見る傾向がある。すなわち、私たちは、不規則で、不完全な図形であっても、対称的な図や完全な図を知覚しようとする。このことは、Wertheimer(1927)が子どもを対象に行った実験によって見事に証明された。彼は子どもに一部分が切り取られた簡単な相称図形を呈示した。実験者が円の少し欠けた部分に正方形の一切片を置こうとすると、子どもは抗議し、情緒的に動揺した。子どもたちはゲシュタルトが完全になるのを求めていたのである。このように知覚は規則性と相称性を求める。 Sander(1931)は正方形と黄金分割に一致する辺の比（1:1.63）をもつ四辺形を美的であると判断することを見いだした。正方形から少しずれた四辺形は「わるい正方形」と感じられる。Sanderは、この「よいゲシュタルト」の原理が建築様式を説明すると論じる。ルネッサンス様式は観察者に快適であると感じさせる静かな美を表現している。この効果もつ建築の原理には正方形と黄金分割比をもつ四辺形が多用され、さらに直角や円形のアーチが好んで用いられられた。窓は規則的に配置され、建物の水平構造は相称的である。 一方、バロック様式は幅や長さが誇張された不完全な正方形や四辺形を用いて、畏敬と不安を覚えさせ、力動的な経験を伝える。アーチの形は楕円で幅が広く、直角の代わりに鋭角が用いられ、対称軸は中央からずれている。不規則性と完全からのずれが緊張と不安をもたらす。したがって、バロックは、完全な形になる直前でとめられた形を創出し、観察者の補正的な活動を刺激することによって、ルネッサンスの完全な形を圧倒するのである（Schuster Beisl,1978）。 感覚には、秩序が存在しないところに